今回の記事について
この記事では、Cardi Bの「Bodak Yellow」や、Megan Three Stallionの「Savage」など数々のヒット曲をプロデュースしている音楽プロデューサー、
J. White Did Itについて紹介していきます。
J. White Did It – 生い立ち
J. White Did It(本名:Anthony Jermaine White)は、1984年 カンザス州レブンワース出身の、現在36歳の音楽プロデューサーです。
ドラムを演奏していた祖父母と、教会のシンガーだった両親のもとで育ったWhiteは、幼い頃から音楽に触れていました。
しかし、当時は特に音楽活動をすることはなく、サッカーに夢中だったそうです。
そんな彼がプロデューサーを目指すようになったのは、15歳の時、プロサッカー選手の夢を諦めたWhiteは、地元で友人のラッパーの為にBeatを作り始めます。
そこから順調に地元で知名度を広げ、20歳の時には、関わりのあったラッパーから「投資家を見つけたから、1つのBeatを200ドルで買い取るよ。」と提案され、
2週間に1度、10 Beatを売って月に4000ドルもの大金を稼いでいたといいます。
Whiteはこの時の出来事について、人生で最初に成功した経験だった、と語っています。
J. White Did It – 挫折
最初の成功を収めたWhiteは、更なる成功を求めて活動をニューヨークに移します。
その活動先のニューヨークで、今のマネージャーであり、彼の人生を変えたプロデューサー Klenord Shaft Raphael と出会います。
この時、WhiteはRaphelに曲のサンプリングの方法を教わったそうです。
その後、Whiteはカンザスへ戻って、200ドルでBeatを売っていたラッパーと再会してニューヨークで体験したことを脚色して話すと、
「Juelz Santana(※伝説のHiphopクルー The Diplomatsのメンバー)と一緒に曲を作りたいんだけど、連れてきてくれないか?」
とお願いされてしまったWhiteは、見栄を張って、必ず紹介するよ!と約束してしまいました。
Juelz Santana – There It Go
しかし、Juelz Santanaとなんの繋がりもなく当時まだ無名だったWhiteは、Raphaelに電話して、
「Juelz Santanaを紹介しなきゃいけなくなったんだけど、なんとかならないかな?」と頼み込んだそうです。
時が経ち、諦めかけてたWhiteでしたが、信じられないことにRaphaelはJuelzの連絡先を見つけて、Whiteがプロデュースした曲に参加させることに成功しました。
この時、初めてメジャーアーティストと曲を作り、成功を確信していたWhiteでしたが、Hiphop業界はまだ彼に注目していませんでした。
それでも諦めなかったWhiteは、2009年、Nellyの「Air Force Ones」やJ-KWONの「Tipsy」など数々のヒット曲を手掛け、
当時勢いに乗っていたプロダクションチーム『Trackboyz』と契約しました。
Nelly – Air Force Ones ft. Kyjuan , Ali , Murphy Lee
J-Kwon – Tipsy
そして契約期間中の2011年にはGenaの「My Dip in the club」で、初のBillboard Hot 100にランクインしました。
GENA – DIP IN THE CLUB
ヒット曲を生み出したWhiteでしたが、ここでも業界から注目されることはなく、2013年にはTrackboyzとの契約も終了してしまい、無職になってしまいます。
2度目の挫折を経験しながらもプロデューサーの夢を諦めなかった彼は、運送会社で働きながら休みの日にスタジオに行って制作を続けました。
しかし2015年、さらなる不幸がWhiteを襲います。
当時、Whiteの母親と同棲していた彼氏の家庭内暴力が悪化し、Whiteの母親は銃で撃たれて死んでしまいます。
この事件が原因で全ての仕事をやめ、それでもまだプロデューサーの夢を諦めなかったWhiteは、
11年ぶりにRaphael(※現マネージャー)に電話すると、久しぶりにBeatを聴かせて欲しい、と家に誘われたといいます。
そこで、Raphaelの家に行き、彼のスタジオでBeatを流していた時に紹介されたのが、Cardi Bだったそうです。
このCardi Bとの出会いが、Whiteの人生を大きく変えることになりました。
J. White Did It – 成功
この出来事で繋がりを持ったWhiteとCardi Bは、出会ったその日から制作を始めました。
そして2017年、リリースされた曲がCardi Bの最初のメガヒット曲「Bodak Yellow」です。
Cardi B – Bodak Yellow
この曲はBillboard hot 100で3週連続1位を獲得し、RIAA(※アメリカレコード協会)からプラチナレコード認定されるほどのヒットとなりました。
プロデュースしたWhiteも業界内で有名人となり、一躍トッププロデューサーの仲間入りを実現しました。
しかも、このメガヒットを記録した「Bodak Yellow」のBeatはわずか10分ほどで製作されたそうで、Whiteの製作スキルを証明するような1曲となっています。
「Bodak Yellow」のヒットにより、勢いに乗ったWhiteは、僅か1年後の2018年にCardi Bの「I like It」をプロデュースし、
この曲もBillboard hot 100で1位にランクインするほどのメガヒットとなっています。
Cardi B , Bad Bunny & J Balvin – I Like It
Whiteは、短期間で2つのメガヒット曲を生み出したCardi Bとの制作について、
「Cardi Bとの間には、他の誰かにはない特別なものがあるんだ。俺のBeatに彼女のボーカルが入ると、とても自然にマッチするんだ。」
と、お互いの相性の良さを語っています。
2年連続で全米1位を獲得し、トッププロデューサー達の中でも異例の活躍を見せたWhiteですが、彼の勢いは止まることを知りませんでした。
2018年が終わる頃、Instagramを通じてMegan Thee Stallionと繋がっていたWhiteは、
一緒に製作する約束をしたのですが、お互いに忙しく、なかなか実現する事ができませんでした。
2020年、そんな2人が初めて手を組んでリリースした曲が、Megan Thee Stallionの「Savage」でした。
Megan Thee Stallion – Savage
この曲は、Beyonceがフューチャーした「Savage Remix」のリリースによって、 Billboard hot 100で1位にランクインし、
2021年現在プラチナレコード4枚の認定を受けるほどのメガヒットとなっています。
さらに、Whiteは製作秘話についても語っていて、Beatはわずか10分〜15分で製作され、曲も1時間〜2時間で完成したそうです。
Whiteはこの時の出来事について、「この曲はまさに神からの贈り物だったよ。」と当時を振り返っています。
J. White Did It – プロデューサーとしての考え
彼はインタビューで、自分がプロデューサーというものとどのように向き合っているか、考えについても語っていたので紹介していきます。
最初に、音楽活動を諦めようと思ったことはあるか?という質問に対して、
「正直、何回もこのままずっと成功できないんじゃないか、と思ったことはあるよ。警察官になることも考えたし、軍隊に入ろうと思ったこともあったんだ。」
「でも、音楽業界で活躍している人達のように、自分も何かできるんじゃないのか、とずっと考えていたんだ。何百万人もの人達の中から成功する確率はごく僅かだけど、
自分にはその才能があることを信じていたんだ。」
と、様々な困難を乗り越えて成功したWhiteの、諦めない姿勢の大切さについて語っています。
また、プロデューサーに求められる最も重要なことは何か?という質問に対して、
「全てだよ。アーティストにとって親友であり、親であり、兄弟的存在になって、自分に求められた仕事を完璧にこなす必要があるんだ。」
「だから俺は、スタジオに入る時には、その建物内で働いている人、スタッフ、文字通り全ての人に食べ物をおごることにしているんだ。
その場にいる全員に、何かいるものはないか必ず聞くようにしているよ。」
「俺は、ヒット曲を生み出すには、制作している建物にいる全員のエネルギーレベルが同じ必要があると思っているんだ。ただBeatを作るだけではダメなんだよ。」
と、彼の仕事に対する姿勢や、雰囲気作りの重要性について語っています。
J.White Did It – 代表プロデュース曲
最後に、彼の代表プロデュース曲をいくつか紹介していきます。
この記事を読んで J. White Did Itに興味を持った方は、是非彼のSNSなどチェックしてみて下さい!
21 Savage – a lot
Cardi B – Money
Iggy Azalea – Sally Walker
Gucci Mane – Big Booty ft. Megan Thee Stallion
Gucci Mane – Love Thru The Computer
・J. White Did It Instagram
https://www.instagram.com/jwhitedidit/